スタッフ

監督:河瀨直美

映画作家。奈良市生まれ。
大阪写真(現ビジュアルアーツ)専門学校映画学科卒業。映画表現の原点となったドキュメンタリー『につつまれて』(92)、『かたつもり』(94)で、1995年山形国際ドキュメンタリー映画祭国際批評家連盟賞などを受賞。1997年初の劇場映画『萌の朱雀』(97)でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少受賞し、鮮烈なデビューを果たす。
その後、『火(ほ)垂(たる)』(00)、『沙羅(しゃら)双樹(そうじゅ)』(03)、『垂乳女/Tarachime』(06)などで、映画祭の受賞を重ねる。2007年『殯(もがり)の森』でカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。2009年カンヌ国際映画祭に貢献した監督に贈られる「黄金の馬車賞」を受賞。2011年『玄牝-げんぴん-』(11)で、第58回スペイン・サンセバスチャン国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞。
2013年カンヌでは、日本人監督として初めて審査委員を務めた。2010年から隔年で開催される「なら国際映画祭」では、エグゼクティブディレクターとして奔走する。

<一言>

桜は死をイメージする花。あんなにも狂喜的に乱れ咲き、あんなにも潔く散り急ぐ花もほかにはないだろう。だから、人はその人生を託すように桜を愛でるのか・・。
そんな満開の「桜」の下で出逢った二人。千太郎と徳江。
彼らの生きてきた時代やその人生は明らかに違うが、それぞれの魂がさまよっている場所は限りなく近い。社会はいつも人の希望を叶えるとは限らない。時に希望を奪う場所でもある。

主人公・徳江の感じる「幸せ」の有り様は、わたしたち現代社会を生きる人間へ多くを学ばせる。これは、この時代に誕生されるべくして誕生する物語だ。人間の尊厳を奪われてもなお、「生きよう」とした人の物語である。

閉ざされた「壁」の存在を超えた心でつながりあえる作品としてこの世界に誕生させるべき『あん』という映画。人は幾度の挫折を乗り越えてその高みに行くことができるのだろう。
物言わぬものと向き合い、もの言わずともそれらが変化し始めるとき、その交歓を描く作品になれればと思う。

わたしが観なければ、夜空に現れた満月も存在しないのと同じだ。
ただそこに在るだけではない。わたしがいるからそれが存在する。
お互いがお互いをそう想いあい慈しみあう世界への扉がここにある。

原作:ドリアン助川

東京都生まれ、神戸育ち。
早稲田大学時代に劇団を主宰し、卒業後は雑誌ライター、放送作家などを経て、ドリアン助川の名で「叫ぶ詩人の会」を結成。ドリアン助川名義以外でも、執筆やライブ活動など精力的に芸能活動を継続。ニッポン放送系列の深夜ラジオ番組「ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!」が若者の人気を集め、若者に向けて真摯で辛辣なコメントを投じることから当時出演していたTV番組の名前通り“金髪先生”とも言われていた時期がある。映画では河瀨直美監督の『朱花(はねづ)の月』(11)に出演経験がある。

<一言>

人はなんのために生まれてきたのだろう。どのように生きることが幸福なのだろう。まるで少年の問い掛けのようではありますが、小説「あん」を書くにいたった直接の動機はそこにあります。
究極の逆境にあっても、生きることを捨てず、己の人生に花を咲かそうとした人々。映画『あん』が創造されようとしているとき、今作にかかわるあらゆるスタッフへの感謝とともに、厳しい運命のなかでも微笑みを失わなかった彼ら彼女らへの畏敬の念があらたに込み上げてくるのです。
この感覚を撮れるとしたら河瀨直美監督しかいないと思いました。運命の人を演じられるとしたら女優樹木希林しかいないと思いました。今は亡き多くの魂とともに、映画『あん』を取り巻く情熱に拍手を送ります。